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戦後のあの混乱期、歴史書には決して記されることのない、庶民のちょっとしたエピソードではないだろうか。 私たちの頃の長崎中学は、1学年が8クラス400名という大所帯たった。
私たちの1年上の学年がその倍の人数だったため、私たちの入学する年に、長崎中学と真和中学の2校に分かれたくらいだったのである。 外地から引き上げてきた家族が、戦後、あのあたりに多く住むようになっていたせいかもしれないが(いわゆるベビーブームは、もっと後の時代の話である)、とにかく、同級生の顔も、とても全員は覚えられないような状態ではあったのだ。
そんな長崎中学校も、創立後60年経つうちに次第に生徒数も減少してきて、最近では、毎春、屁入学者が十名にも満たなくなってきたらしい。 それで平成18年3月をもって近隣のいくつかの中学校が統合され、長崎中学は廃校となったということだった。
私はこの事実を、昨年の秋に開かれた長崎中学の総合同窓会で、初めて知ることができた。 その同窓会には、60年前の第1期生から最近の卒業生まで顔をそろえたのだが、私たち第5期生の同級生の大半はもう連絡がつかなくなっているということで、5期生で来ていたのは、私ひとりだったのである。
そんな状況に、いちばん出来の悪かった私だけが顔を出すというのも、ずいぷんと皮肉な話だと思ったものだった。 私たちの年は、同窓会があまりしっかり確立されていなかったためだろうが、できれば、あの当時の級友らともう一度逢って、昔話に花を咲かせたいと思っている。

ちなみに、私か同窓会が開かれることを知ったのは、2つ下の妹宛に中学から知らせが届いたからである。 妹の年には日中心になる人がいて、同窓会もしっかりしているという話だった。
また、今でも親しくさせていただいている同級生の1人に日本書にもご登場願っているW辺歯科医院のA木敦子先生かいらっしゃるが、先生も同窓会があることは知らなかったという。 ところで日中学を卒業して煎餅屋に丁稚奉公に出ることになったとは言ったが、なぜ煎餅屋だったのかと不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれない。
別にいいかげんに奉公先を選んだわけではなく、実は、それには深い理由があったのである。 その煎餅屋を紹介してくれたのは、警視庁の少年課の刑事さんだった。
たしかS木という名の刑事さんだったと思うのだが(お世話になった人だが、あるいは違っていたらお許しいただきたい)、ともかくも、そのS木さんから、「おまえ、丁稚に行くのなら、俺がいいところを紹介してやるよ」と言われて、その店で、住込みで煎餅職人の修業することになったのだった。

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